霧島市にて新規就農を果たし、さまざまな有機野菜を栽培する久保さんご夫妻は、大阪でのサラリーマン生活にピリオドを打ち霧島市に住まいを移した「移住者」です。
生まれも育ちも大阪のおふたりは、なぜ霧島市への移住を決断したのでしょうか。移住の理由や移住後の実際の生活について、移住者のリアルを、前後編でお送りします。
プロフィール 久保竜也 生まれ育った大阪で営業職のサラリーマンとして働く。 結婚後、2011年に起こった東日本大震災をきっかけに移住を決意。 2013年に霧島市へ移住。少量多品目栽培の有機農業を営む。
震災で気づいた、食べることは生きること
――農業を始めるに至ったきっかけについて教えてください。
大阪の住まいは1階に銀行があるマンションで、向かいにはコンビニ、さらに周囲にホームセンター、大型スーパーがありました。とても利便性のいいマンションでの暮らしに満足していたのも束の間、2011年の東日本大震災が発生。その影響で、遠い地の大阪でもスーパーやコンビニから商品が姿を消しました。
このとき、「生きるっていうのは食べることと直結しているんだ」ということを体感し、食べ物を作る農家になろうと考え始めました。
――なぜ霧島市に移住しようと考えられたのですか。
霧島市との出会いは偶然です。
私が生まれ育った大阪は商人の街なので、農業に関する知識やノウハウを教えてもらおうと思っても周囲には農業に縁のある人がいませんでした。
それでもあきらめずに、あらゆる方面に「農家はいないか」と探しているときに、鹿児島出身の妻の祖母が他界して。 “納骨は出身地の鹿児島にしたい”というのが、祖母の生前からの希望だったので、納骨のために鹿児島に向かい、そこでとうとう、農業をしている親戚と出会いました。
その親戚曰く、「鹿児島は新規就農の研修もしっかりしている」とのことで、このとき鹿児島への移住と新規就農を決断しました。
そこから移住先を霧島市に決めたのは、研修先で働いていた方が霧島市の牧園町に住んでいて、「周りに畑が空いてるよ」という話を聞いたからです。「空いているならその周辺に住むのがいいのかな」と思い、霧島市に決めました。
自分たちを受け入れてくれる人がいる心強さ
――移住の際の霧島市のサポート体制はどうでしたか。
自分たちが移住してきた当時、霧島市は今ほど移住対策に力を入れていなかったようなので、市のサポートをたくさん活用できたわけではないんですよね。それでも、霧島市のPR課の方々には「こんなにもよくしてくれるの?」 というくらいお世話になっています。
今は移住対策も充実してきて、『移住者を増やすための活動に協力してほしい』と霧島市から依頼を受けることもよくあります。たとえば、このような移住にまつわる取材の依頼などですね。私自身、移住者が増えるのは大歓迎なので、移住に関する行政とのコラボレーションには積極的に関わっています。そういった取り組み が新たな移住者へのサポートとなればうれしいですね。
――移住の際、住居はどのように探しましたか。
住居は農業をしやすいことを条件に、自分たちで探しました。当時は移住者向けの空き家情報もあまりなく、車であちこち周って。現在の住まいは、倉庫として使われていた築70年くらいの古民家で、土間やかまどのある水屋をリノベーションして暮らしています。
後編でもさらにお話をうかがいます!
農業を営むために、住み慣れた大阪を離れて霧島市に移住した久保さんご夫妻。
2013年に移住し、6年経った今では、市役所に行くと「久保さん!」と職員の方から声をかけてもらえたり、地元の人からイベントに誘われたりと、『移住者の自分たちを受け入れて認めてくれる人がこの街にいるというのが心の支えになっている』と久保さんは語ります。
後編では、移住後の話や、今後の展望についておうかがいします。
株式会社ekubofarm 住所:鹿児島県霧島市横川町中ノ3835 電話:090-5057-1019 メールアドレス:ekubofarm@gmail.com
投稿者プロフィール
- 宮崎県在住フリーライター。妊娠出産後、女性として生きていくことや働くことの大変さを知り、悩んでいる方々の力になりたいと感じています。霧島山の麓という恵まれた環境にある地元のすばらしさをもっと知り、発信できるようになりたい。
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・SNS運用……facebookやTwitter等
・ブログの作成・運用……代筆いたします